2022年05月18日
社会・生活
研究員
館山 歩
2022年6月に迎える生誕170年―。スペインが生んだ天才建築家アントニ・ガウディは、バルセロナにある未完の教会「サグラダ・ファミリア」の建築家として知られる。だがほかにも、グエル公園やカサ・バトリョ、カサ・ミラなど、独創的な彼の作品を目にしたことのある人も多いだろう。筆者も2012年に当地を旅行し、ガウディの世界にすっかり魅せられた1人である。
未完の教会「サグラダ・ファミリア」(2012年)
(写真)筆者
アントニ・ガウディ(1852~1926年) 街中に岩山が出現!高級賃貸アパート「カサ・ミラ」(2012年) スペイン・カタルーニャ地方出身の建築家。19世紀後半~20世紀前半、モデルニスモ(スペイン版アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活躍。波や貝殻、植物や動物の体など、自然界にモチーフを求め、曲線と細部にこだわる装飾が多用された独創的なデザインで知られる。一見、奇抜に感じられる作風。だが実は、幾何学を駆使しながら、構造力学的な合理性に裏打ちされた建築様式である。後世の多くの建築家や芸術家に影響を与えている。生涯で彼が遺した主要な建築物は20前後と多くはないが、そのうち7つがユネスコの世界遺産に登録済み。 (出所)各種報道などを基に筆者 |
そのガウディの作品をSDGs(持続可能な開発目標)の視点からひも解く、企画展「SDGsの先駆者 アントニ・ガウディ 形と色―150年前からのヒント―」の開催を知り、2022年3月に会場の駐日スペイン大使館(東京・六本木)まで足を運んだ。
大地や自然の景観には手を加えず、水や空気の流れを設計に取り込む。工事中に掘り出された天然石を活用する。割れたタイルや食器の破片など廃材を装飾に利用する―。数々の展示パネルを見ると、今から100年以上も前、ガウディが無意識のうちにSDGsを視野に入れていたことに驚く。
自然景観を活かし、遊び心もあふれる「グエル公園」(2012年)
(写真)筆者
タイル・ガラスは廃棄物を再利用、個人邸宅「カサ・バトリョ」(2012年)
(写真)筆者
一体なぜ、ガウディはこのような独自の建築スタイルを生み出すことができたのか。彼は幼少期にリウマチに罹患。友だちと遊びまわることができず、身の周りの自然を観察して過ごしたといわれる。「木や草花はどうして立っていられるのだろう」「虫はどうしてあんなに細い小さな足で素早く動き回れるのだろう」―。そんなことを考えながら、独り遊んでいたガウディ。その幼少期の体験こそが、自然のありのままの造形を取り入れる独自の建築思想や作風を育んだとされる。
企画展でガウディの世界観に浸っていると、10年前のバルセロナ旅行の記憶が鮮明によみがえってきた。いくつか見て回った作品の中で一番感銘を受けたのは、やはり彼の代表作といえるサグラダ・ファミリアだった。
サグラダ・ファミリア サグラダ・ファミリア「受難のファサード」側(2012年) 世界的に有名なガウディ建築の集大成で、正式名称は「聖家族贖罪(しょくざい)聖堂」。民間カトリック団体のサン・ホセ協会が、貧しい人々のための教会として建設を計画した。1万4660平方メートルの敷地に建つこの聖堂には、聖堂本体に加え、3つのファサード(建物正面)と最高170メートル超の塔18本が立つ予定。 1882年着工後、翌年にガウディが2代目の建築家に就任。それから40年以上にわたり、ライフワークとして設計・建築に携わる。着工当時、「完成まで300年」と言われていたが、近年は観光収入の増加や技術の著しい進歩により、工期が大幅に短縮。いったんはガウディ没後100年となる2026年の完成が見込まれていた。しかし、新型コロナウイルスの影響で建設費の大半を占める観光収入が激減。工事は再び大幅に遅延し、完成時期も目途が立たなくなった。 (出所)各種報道などを基に筆者 |
10年前の旅行中、サグラダ・ファミリアが目の前に現れると、筆者はその異様な存在感にまず圧倒された。これまで見てきた西欧の教会とは、全く異なる姿かたち。壮大で威厳にあふれ、まるで「石の怪物」であるかのような迫力。一方、ファサードに施された聖書にまつわる彫刻の精緻さには、思わずため息が漏れてしまう。ガウディは建築と彫刻を一体のものと捉え、この聖堂を「石でできた聖書」に見立てて設計したといわれるのもうなずける。
「イエスの誕生」を表現したファサード(2012年)
(写真)筆者
聖堂の中に足を一歩踏み入れると、天井を支える柱が樹木のようにそびえ立ち、途中から天井に向かって枝を広げていた。何とも不思議な構造だ。樹齢数百年の森、あるいはどこか別の星に迷い込んだかのような錯覚に陥る。そして色鮮やかなステンドグラスを通過した太陽光が聖堂内に降り注ぎ、七色に輝く光の洪水が聖堂内を幻想的に包み込む。
まるでSF映画に出てくる別の星?(2012年)
(写真)筆者
この聖堂の中で、ガウディが唯一、生前に完成させていた内部空間が「ロザリオの間」。ここには教会でありながら聖書とは関係ない、近代的な2体の彫刻が置かれている。悪魔が若者に爆弾を渡そうとしている像と、悪魔が少女に金貨を渡そうとしている像。この2つには、ガウディの深いメッセージが込められている。
前者の若者は、悪魔から爆弾を受け取る指先がかすかに爆弾から浮いており、苦悩の表情を浮かべる。後者の少女も胸に手を当てながら、祈りを捧げる。若者も少女も、まだ完全に悪魔の誘惑に負けておらず、爆弾を受け取ってもよいのか、金貨をもらってもよいのか―。大きな葛藤と苦悩の中でためらい、懸命に戦っているのだ。
このロザリオの間は、別名「誘惑の間」とも呼ばれる。人間が陥りやすい暴力・権力・戦争、そして金銭への誘惑。こうした誘惑を完全に断ち切ることは、いつの時代も人間にとって非常に難しいことなのだ。
1978年からサグラダ・ファミリアの建築に携わり、2013年以降は主任彫刻家を務める外尾悦郎氏は、著書「ガウディの伝言」(光文社新書)の中で「人間は誰しも完璧ではない。それでも良い方向に行こうとすることが大切なんだということを、ガウディはロザリオの間を通じて伝えているような気がします」と述べている。
ガウディはこの「ロザリオの間=誘惑の間」を、聖堂の中で最初に完成させている。そこに彼の人間に対する深い洞察や、後世に生きる人間一人ひとりに向けた、メッセージを感じ取ることができないだろうか。
晩年、ガウディは他の仕事から一切手を引いた。サグラダ・ファミリアの中で寝起きし、この聖堂の建築に心血を注いだという。そして3キロ近く離れたサン・フェリペ・ネリという教会に毎日歩いて通い、ミサで祈りを捧げることを日課としていた。
この教会の正面入り口の壁には、ナポレオン戦争(1808~14年)当時の銃弾の跡が残されている。ガウディも毎日、それを目にしていたはずだが、どのような心境だったのか。人間が誘惑に打ち克つには、あるいは悲劇が繰り返されないためには、どうしたらよいのか...。ガウディは自らに問いかけ、ミサで祈りを捧げていたと想像してしまう。
しかしながら彼の死後、悲劇は繰り返される。スペイン内戦(1936〜39年)真っただ中の1938年、この教会の地下室に避難していた40人以上の市民が砲撃の犠牲になったのだ。大半が幼い子どもだったという記録も残されている。砲弾の傷痕は修復されず、ナポレオン戦争当時の銃弾跡に重なるように、今もそのまま保存されている。
この世の中から戦争が無くなったことはない。多くの尊い命が奪われ、人々は深い傷を負う。二度と戦争など起こすまいと反省し、平和の希求を決意する。しかし、また同じ過ちを繰り返す。
ロシアによるウクライナ侵攻から間もなく3カ月。テレビをつけると連日、残虐な爆撃の映像が流れ、今この瞬間も無辜(むこ)の市民が...。平和とは何か。どのようにしたら誘惑に打ち克ち、負の連鎖を断ち切ることができるのか―。サグラダ・ファミリアの地下礼拝堂で眠るガウディは、現代を生きるわたしたちに大切なことを問いかけ、祈り続けている気がしてならない。
館山 歩